2014年10月26日日曜日

平賀亀祐 志摩市が誇る画家



平賀亀祐 ひらが かめすけ


三重県志摩市が誇る西洋画家

志摩市片田の出身


片田は「アメリカ村」ともいわれ

伊藤里き とおなじく移民として両親とともに米国に渡る


多くの苦難を乗り越え画家として大成


常に故郷「志摩」を心に秘め描く絵に反映してきたという

志摩市大王町役場を「平賀亀祐 美術館 記念館」としてオープンした

志摩市が誇る画家である





2014年9月22日月曜日

神宮別宮 伊雑宮のご造営と遷宮

志摩市磯部町に 神宮志摩一宮「伊雑宮」がある

昨年の遷宮とともに 別宮などの遷宮が行われる



国道167号線から「伊雑宮」につづく参道

由緒ある建築物が付近にある




神武参剣道場

堂々たる風格をたたえた剣道場である





現在造営中の伊雑宮とならぶ現 伊雑宮








白い幕におおわれた 新伊雑宮


神域内にはおおきな樟(くすのき)がある

樟は樟脳の原料 

太古から悪しき者が近づかないよう魔除けの意味で神社の境内には植えられることが多い




すぐそばには池もあり 鏡のごとく木々を映す



神宮おはらい町同様

伊雑宮にも御師がいた

全国各地へ伊雑宮への参拝を誘ういわば「旅行社」のようなもの



うなぎ料理で有名な「中六」も重厚な佇まいである

タイムスリップしたような環境に身をおいてみるのも楽しい感覚 体験でもある

新社殿が完成すればまた訪れたい

2013年12月15日日曜日

河村瑞賢と三重県の豪商ゆかりの地 「日本橋」

河村瑞賢 かわむら ずいけん 1617~1699

江戸時代初期の豪商

治山治水 航路開拓などで多くの功績を残す








伊勢国 度会郡東宮村(現 度会郡南伊勢町)出身

貧農の家に生まれるが幼少より知才に秀で

13歳にして江戸に出る

車力から身を起こし 人夫頭になりその才能が認められる

土木請負業や材木商を始め財をなす

明暦の大火で江戸復興に木材が必要と着目

信州木曽の材木を買い占め 江戸に運び

土木の知識と 材木の販売で更なる繁栄を見た



航路開拓


翌年には西廻り航路の開拓と尽力した





治水工事


船の安全航行には立ち寄湊の整備が重要と考え

浚渫や港湾整備にも力を注ぐ

江戸幕府の若年寄 稲葉正休の淀川視察のあと

河村瑞賢が河川改修工事の指揮をとった




江戸時代を代表する政商 豪商で

全国各地で

航路開拓 鉱山開発 灌漑 治水などにも能力を発揮したと

新井白石の「奥羽開運記」「畿内治河記」に記されている

晩年は霊岸島に住まいし 松尾芭蕉とも交流があったという



江戸日本橋界隈は 三重出身の商人が居を構え

大きく発展し後の 三井 三越 小津などの豪商を生む

この三重県縁の地に


オープンし 三重県の情報発信地となった