河村瑞賢 かわむら ずいけん 1617~1699
江戸時代初期の豪商
治山治水 航路開拓などで多くの功績を残す
伊勢国 度会郡東宮村(現 度会郡南伊勢町)出身
貧農の家に生まれるが幼少より知才に秀で
13歳にして江戸に出る
車力から身を起こし 人夫頭になりその才能が認められる
土木請負業や材木商を始め財をなす
明暦の大火で江戸復興に木材が必要と着目
信州木曽の材木を買い占め 江戸に運び
土木の知識と 材木の販売で更なる繁栄を見た
航路開拓
翌年には西廻り航路の開拓と尽力した
治水工事
船の安全航行には立ち寄湊の整備が重要と考え
浚渫や港湾整備にも力を注ぐ
江戸幕府の若年寄 稲葉正休の淀川視察のあと
河村瑞賢が河川改修工事の指揮をとった
江戸時代を代表する政商 豪商で
全国各地で
航路開拓 鉱山開発 灌漑 治水などにも能力を発揮したと
新井白石の「奥羽開運記」「畿内治河記」に記されている
晩年は霊岸島に住まいし 松尾芭蕉とも交流があったという
江戸日本橋界隈は 三重出身の商人が居を構え
大きく発展し後の 三井 三越 小津などの豪商を生む
この三重県縁の地に
オープンし 三重県の情報発信地となった