神宮 じんぐう
天照皇大神(内宮)と豊受大御神(外宮)を正宮とし別宮 摂社 末社 所管社を含む
百二十五社の総称 近代社格では超越 社格対象外
正式名は 神宮 所在地が伊勢であるため あえて「伊勢神宮」と称す
宗教法人法による定義
宗教法人名 「宗教法人神宮」
垂仁天皇二十六年 (内宮)
雄略天皇二十二年 (外宮)の創建とされ
倭姫命がその大任を担った
式年遷宮
持統天皇4年 690年に第1回遷宮が行われ 戦国時代120年間の中断はあるものの
1300年間行われてきた神宮最大の神事である
2013年 平成25年10月 第62回式年遷宮 「遷御の儀」が執り行われる
神道に言う「常若の思想」が貫かれ
20年毎に御正殿はじめ関連建造物並びに神宝 装束に至るまで
すべてあらためられます
明治天皇御製
”いにしへの姿のままにあらためぬ 神のやしろぞたふとかりける”
式年遷宮の意義は建築のみならず美術 工芸の伝承 後継育成にあります
「遷御の儀」が終わると次の式年遷宮に向けて新たな20年が始まるのです
出雲大社 いずもおおやしろ
島根県出雲市にある 旧官幣大社(現 別表神社)
宗教法人出雲大社教 宗祠
斉明天皇5年 659年 大国主命を祭神とする大社
「国譲り神話」からこの地に神殿を建てさせ現在に至るとあります
神仏習合により敷地内には多くの仏教建築物もあったようで
主祭神もたびたび変遷し また元の大国主の命に戻ったことは知られていません
出雲大社は別表神社に位置づけられ 宮司の世襲が認められております
言い換えれば宮司一族の「所有物」としての一面が伺えます
「出雲大社教」の千家氏
「出雲教」の北島氏が
ともに大国主の命を主祭神とした宗教法人教団を持っています
明治時代神道事務局の祭神を巡り伊勢派と出雲派の千家の大論争が勃発し
天皇の勅裁を仰いで決着 伊勢派が勝利した
千家は神道事務局を脱退し 「出雲大社教」を設立し 出雲大社と一本化した
遷宮修造
おおよそ60年を経て 修造されてきたようです
神宮のように「常若」ではなく 痛みの激しい部分だけ改修し
その間 主祭神は仮神殿に遷宮されているとのことです
何年ごとに「遷宮」の決まりはないとのことです
神宮と出雲大社 遷宮で大きく報じられていますが
その根底の精神には大きな隔たりがあるようにも感じます
2013年7月15日月曜日
2013年7月11日木曜日
伊藤里き Ito Riki
伊東 里き(いとう りき)
1865~1950年
三重県英虞郡片田村(現 志摩市志摩町片田)
アメリカ合衆国に渡り 日本人初の助産師資格を取得した女性
渡米後 多くの試練をへて 生活を安定させる
故郷 志摩の片田への送金額が莫大な額になり 「アメリカには金のなる木」がある と
片田村では渡米ブームが起き 里きを頼り多くの村民がアメリカに渡った
「片田村はアメリカ村」ともいわれ
当時の村民4000人のうち 232人が渡米していたという
その送金額は片田村年間予算の3倍にも達したという
明治の女性のたくましさを表し 「片田の英雄」として現在も慕われている
志摩市志摩町和具には「お里きの松」が今もある
1865~1950年
三重県英虞郡片田村(現 志摩市志摩町片田)
アメリカ合衆国に渡り 日本人初の助産師資格を取得した女性
渡米後 多くの試練をへて 生活を安定させる
故郷 志摩の片田への送金額が莫大な額になり 「アメリカには金のなる木」がある と
片田村では渡米ブームが起き 里きを頼り多くの村民がアメリカに渡った
「片田村はアメリカ村」ともいわれ
当時の村民4000人のうち 232人が渡米していたという
その送金額は片田村年間予算の3倍にも達したという
明治の女性のたくましさを表し 「片田の英雄」として現在も慕われている
志摩市志摩町和具には「お里きの松」が今もある
2013年7月6日土曜日
上野秀三郎博士と忠犬ハチ公 Dr. Hidesaburou Ueno
上野 英三郎
1871~1925
日本の農業土木 農業工学の創始者
三重県久居市(現 津市久居町)出身
東京帝国大学 農科大学農学科卒業 現在の農地環境工学の基礎を開く
明治32年 政府の耕地整理法を受け全国の耕地整理事業に尽力
当時の農商務省の委託を受け 農業土木技術員養成官の任務につき
その後20年間に渡って3,000人を越える技術者の育成に努めた
博士から指導を受けた技術者は大正12年 関東大震災の復興に重要な役割を果たした
大正14年 大学での講義中に脳溢血で倒れ他界した
愛犬 「ハチ= Hachi」は博士の急死を知らず 長期に渡り渋谷駅で待ち続けた
博士の死後7年ほどたち世間の話題を集めた 上野博士の死後 9年を経て
忠犬ハチ公の銅像が建立された
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