2013年6月3日月曜日

くうや観助餅 三重 二見名物 Kuyakansukemochi










二見名物「くうや勘助餅」 鈴木翠松軒
もとは慶事 弔事用に造られていた餅菓子
 
東京銀座の「空也」という
夏目漱石の「吾輩は猫である」にも登場する有名和菓子屋ではないことをお断りしておく

鈴木翠松軒
鈴木翠松軒二代目「勘助」は東京風月堂で修行し 皇居へも和菓子を納めていたらしい
勘助は帰郷し昭和10年ころから和菓子のほか
洋菓子もはじめ「翠松軒」の地位を高めて行ったようです

いろいろ調べるのですが 
餅でいう「くうや 空也」とは蒸したもち米をつききらず 
ある程度米粒の感じを残したものを言うようです
ちなみに 志摩地方ではもち米の食感を残した餅を
「半殺し」と物騒な言い方をすることもあります

精進料理にも「空也蒸し」があり 豆腐の存在感がある一種の茶碗蒸しです
この方面の由来について詳しい方はご教授ください

さて「くうや勘助餅」も もち米の存在感を残した餅でこし餡をくるんだものです
赤 白 よもぎの三色のスタイルがあり 餡はあっさり 何個でも食べられそうです

三重県は南北に長く、神宮参拝の茶店などの名残から「三重餅街道」の名もあるほどです
東京銀座 空也と区別をつけるため 翠松軒二代目主人「観助」の名をつけたのかもしれません
二見の隠れた名物 おみやげとして注目されている

度会郡二見町であったが2005年 御薗村 小俣町とともに「伊勢市」に合併した

2013年6月2日日曜日

二軒茶屋餅 伊勢最古の餅屋 Nikenjyayamochi

二軒茶屋餅 伊勢最古の餅屋

お伊勢参りは昔より陸路や海路をつかい
「神宮」=伊勢神宮の正式名
お参りされてまいりました

尾張・三河方面からは伊勢湾を横切り海路伊勢の大湊港に着き
勢田川(せたがわ)を遡り 
河崎(伊勢の商家が集まる問屋街)近くの船着場にきました
この船着場に湊屋と角屋という 二軒の茶屋があり 
以来 この船着場は「二軒茶屋」と呼ばれています
湊屋は うどんや寿司を商い 
角屋は餅を売っていたそうです 創業1575年 430年余の老舗で
おそらく「伊勢最古の餅屋」であろうといわれております
「赤福」よりも130年前 から商われていたことになります

現在も同じ場所で商いを続けております

「二軒茶屋餅」
こしあんを 餅でくるみ 上質の「きな粉」をまぶしてあります
上品な甘さときな粉の香ばしさがマッチして
大変美味しいお餅です
毎月25日には黒砂糖あんの「黒あん二軒茶屋餅」が
数量限定で販売されます



角屋は味噌や醤油の醸造業部門もあり
その経験から地ビールの生産にも乗り出しており
餅屋の向かい側には地ビールレストラン「麦酒蔵」があります

伊勢と鳥羽を結ぶ 二見街道沿いにあり
店の裏には勢田川が流れ 
明治5年 明治天皇が西郷隆盛を従え この地点より上陸し
神宮に参拝したと記録があります

二軒茶屋餅

2013年6月1日土曜日

饗土橋姫神社と宇治橋  神宮125社めぐり Aedohashihimejinjya

2009年11月3日 

伊勢神宮は正式名では 神宮という


宇治橋が架けかえられ 渡始式が行われました

何度も風水害により流失し、現在の形になったのは明治以降といわれている
長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋 木造では日本最大級である

遷宮も 戦後 国民の困窮の中 叶わず
天皇の意向もあり無期延期とされた

せめて宇治橋だけでもとの願いから、昭和24年に掛替えが行われました
遷宮も4年後 昭和28年には行うことが出来
以来 遷宮の4年前に 「宇治橋」の掛替えが行われています


伊勢は 「宇治=うじ」地区と「山田=やまだ」地区から構成されている
宇治地域に「皇大神宮」  内宮
山田地域に「豊受大神宮」=外宮が鎮座していた
明治39年から「宇治山田市」となり
伊勢市に成ったのは昭和30年のことである


宇治にあったから「宇治橋」とする説もある
宇治橋はもともと内橋(うちばし)といい 俗界と神苑とをわかつ境の橋
として神聖視されてきた

五十鈴川も もとは「御裳濯川=みもすそがわ」といわれ
倭姫命が身にまとっていた裳(も)古代人の腰巻風の衣服を濯(すすぐ)いだ川の
故事からの由来とされている




ならば 「五十鈴とは」 ? 神楽を舞う際に使う「鈴」でもあり
ことば 言霊(ことだま) アイウエオの五十音とする説があります
人は口の形を変えて音を発し、音のつながりに意味を持たせて言葉としている
意思を伝える 心を伝える 言葉にも魂や霊が宿ると考えたのでしょう
神宮をすべての基(もとい)とした古代人の想いに叶う名なのかもしれません
日本最古の歴史を持つ自動車会社「いすゞ自動車は」この五十鈴川に因んでいる
江戸時代の医師で国学者
「本居宣長」も鈴をこよなく愛し
自らの庵を「鈴屋」=すずのやと名づけ、鈴の収集家としても知られている

宇治橋の両端の鳥居は内宮 外宮の「唯一神明造」の社殿を支える
外側に立てられた柱(棟持柱)からできております
遷宮の時には建て替えられ、桑名の「七里の渡し」と
亀山市関宿の「東の追分」に譲られ 神宮遥拝の鳥居として20年役目を果たします


その後は全国の神社へ御用材として分け与えられます
神宮は太古より「エコロジー リサイクル リユース」を実践してきているのです
旧宇治橋の木材は 「御守」に加工され頒布されています


この鳥居は 宇治橋を守るための鳥居であり
正式な神宮の第一鳥居は 「手水舎」のところにある
明治時代まで民家がここまで立っていたと言う証である
第二鳥居は 五十鈴川の禊場を過ぎ ご正殿へ向かうところにある



饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)



もとは 船着場の守護神と言われている
饗土とは四方八方に悪しきものが立ち入らないようお祀りしたところで
神宮の守りの神の意味合いが大きい
神宮への入り口 「宇治橋」を 見つめる位置に鎮座する
Google Mapより


宇治橋渡始式は饗土橋姫神社の神事のあと挙行された

Youtube