三重県は南北に長い県である
伊勢神宮や熊野宮参拝の宿場にそれぞれ今に伝わる餅菓子がある
三重県は
テレビの「ケンミンショー」でも紹介があったが
印象の薄い県で 余り関心を持つ人もいない
その存在すら知らない人がいるほどである
特に地図の読めない女性に多い
伊勢神宮 赤福 伊勢えび 松坂牛が出てきて やっとああそうか~
てな ぐあいである
余談だが 「すき焼き=鋤焼」
漁師や猟師が獲物を鋤の上で焼いて調理したことからという説がある
関西では
割下(わりした)は使わないことがおおい しょうゆと砂糖だけで肉を焼く
その後
肉のエキスの出た鍋に日本酒やだしを足して野菜類を煮る
肉本来の味がわかるし 焼くことで香ばしさが味わえる
割下をつかうのは関東に多く 「牛鍋、すき煮」になる
我が家も「すき焼き」で 溶き卵にからめて肉をいただく
これがたまりません
まあ ご自分のお好みで食べればいいだけだが
はるか昔より「お伊勢さん」をいただき
「一生に一度は お伊勢参り」が庶民の願いであったとか
お伊勢さんへの街道にはその土地の「餅菓子」が発達した
携帯食として珍重されたらしい
旅の途中では生物は日持ちがせず
食当たりで死に至ることもあったそうだ
三重県最北部
桑名市「桑名の焼きハマグリ」で知られたところ
安永餅=(やすながもち)
四日市
かつては 公害のまちで知られた工業都市
笹井屋のながもち=(ささいやのながもち)
太白永餅 (たいはくながもち)
関宿=(せきじゅく)
東海道の難所「鈴鹿峠」でしられる
関の戸 = せきのと
相可=(おうか)
伊勢街道と尾鷲街道が交差するまち
最近は「高校生レストラン まごの店」を展開し
全国料理コンクールなどでも常勝の相可高校がある
まつかさ餅も350年以上の歴史をもつ 売り切れ御免のもち
まつかさ餅
伊勢市小俣(おばた)
お伊勢参りで宮川の渡しがあったところ
宿場から乗ってきた馬を返す=へんば
ここの茶店で出されていた餅菓子
へんば餅
伊勢市
ごぞんじ 赤福餅 あかふくもち
伊勢最古の餅屋 二軒茶屋餅 =にけんじゃやもち
二見
御福餅 = おふくもち
くうや勘助餅
まだまだあるが かなりなの知れたところではここらまでか?
肝心の志摩地方を忘れておりました
うすく延した餅を四角くきり こし餡を挟んだもち
白餅 よもぎ餅などがある
さわもち
2013年6月7日金曜日
伊勢うどん考 Iseudon
伊勢うどん
主に伊勢を中心に食べられているうどんで 「極太で柔らかい」のが特徴
江戸時代に3度 全国から爆発的な伊勢参りの波が起きた
「おかげまいり」である「御蔭参り」と書き
庶民が奉公先や仕事をほっぽり出して「伊勢参り」する現象をさし
「ええじゃないか」とは区別される
大挙して押し寄せる参拝客に対応するため
うどんを絶えず茹で続け腰の無いうどんになった
刻みネギしか ”具”は無い
極太の麺に 味噌から抽出した「たまり」 これに
鰹や昆布出汁をあわせ「たれ」としたものを絡めたもので「つゆ」は無い
「たまり」を使うため 真っ黒で 関西人や讃岐の人には敬遠される傾向がある
最近は観光客達の間でその味が評判となり
うどんとタレがセットになったものが
三重県内の高速のSAやスーパーマーケット
コンビニなどでも売られている
また 「たれ」だけのお取り寄せもできるようになった
永六輔が「伊勢うどん」の名付け親
「素うどん」「並うどん」と呼ばれていたが伊勢を訪れた際に
これは「伊勢うどん」と言ったのが始まりという
その後 伊勢麺類飲食組合で「伊勢うどん」に統一した
今や 伊勢名物
伊勢市観光協会でもご当地グルメの案内がある
伊勢うどん
主に伊勢を中心に食べられているうどんで 「極太で柔らかい」のが特徴
江戸時代に3度 全国から爆発的な伊勢参りの波が起きた
「おかげまいり」である「御蔭参り」と書き
庶民が奉公先や仕事をほっぽり出して「伊勢参り」する現象をさし
「ええじゃないか」とは区別される
大挙して押し寄せる参拝客に対応するため
うどんを絶えず茹で続け腰の無いうどんになった
刻みネギしか ”具”は無い
極太の麺に 味噌から抽出した「たまり」 これに
鰹や昆布出汁をあわせ「たれ」としたものを絡めたもので「つゆ」は無い
「たまり」を使うため 真っ黒で 関西人や讃岐の人には敬遠される傾向がある
最近は観光客達の間でその味が評判となり
うどんとタレがセットになったものが
三重県内の高速のSAやスーパーマーケット
コンビニなどでも売られている
また 「たれ」だけのお取り寄せもできるようになった
永六輔が「伊勢うどん」の名付け親
「素うどん」「並うどん」と呼ばれていたが伊勢を訪れた際に
これは「伊勢うどん」と言ったのが始まりという
その後 伊勢麺類飲食組合で「伊勢うどん」に統一した
今や 伊勢名物
伊勢市観光協会でもご当地グルメの案内がある
御師と伊勢詣(おんしといせもうで)
全国各地の有名な寺社に案内し 宿泊や食事の世話した
特に伊勢神宮」の案内人は「御師=おんし」とよばれ神宮の下級神職がおこなっていたともいう
全国各地に「伊勢講」を設け神宮の御札や暦を配ったとある
豊受大神宮(外宮)は農業を中心に産業の神であり 農民に厚い信奉を得ていた
御師は全国各地に赴き、伊勢講を神宮に案内し世話をしていた専門職集団でもある
現在の「旅行会社」といえる
内宮や外宮近くに軒を連ね各地の参拝者を招き 宿泊や食事を提供していた
伊勢神宮の「おはらい町」はその名残であるという
2013年6月5日水曜日
風日祈宮 かざひのみや 国難を救う神 Kazahinomiya
風日祈宮 国難を救う神
伊勢神宮=神宮
級長津彦命(しなつひこ)
級長戸辺命(しなとべのみこと)二柱をお祀りする神社
風の神様として信奉をあつめる
古代人は「風」を神様の息(呼吸)から起きると考えていた
自然現象の風や雨を司る神として崇められる
神宮神楽殿前に位置し 五十鈴川に橋がかかり
神宮ご正殿をミニサイズにした佇まいです
お祀りされてきましたが
鎌倉時代中期の元寇の際 「風日祈宮」で祈願が行われた
「神風」が起きて 撃退したことから一層の信奉をあつめる
元寇
元(当時のモンゴル帝国)が属国 高麗(朝鮮国)をつかい
日本に侵略攻撃をかけた行為
文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の二度あり
このとき「風日祈宮」で祈願が行われた
すると「神風」が起きて元 高麗軍に壊滅的打撃を与えたとある
以来「国難を救う神」として崇められるようになった
テレビドラマの「太平記」でも元寇のシーンがあった
江戸末期にペリーが黒船で押し寄せた時も勅使が
風日祈宮で祈願をしたと記録がある
風雨を司る神 として気象関係者も関心を寄せている
ご正殿参拝まで少し横道にそれて「風日祈宮」をお参りし
神楽殿前に出ます ご正殿参拝後
「荒祭宮」参拝のルートをおすすめします
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