2013年5月26日日曜日

北海道の名付け親 松浦 武四郎   三重県偉人伝    Matuura Takeshiro

北海道の名付け親 松浦武四郎

北海道はなぜ ほっかいどう と言うのか?

松浦武四郎  号は 北海道人(ほっかい・どうじん)
三重県松阪市出身 1818年3月12日(文化15年2月6日) - 1888年2月10日)

蝦夷(えぞ) ヤマト王権により異族視され 北方に追いやられた人たち
ヤマトが成熟するに連れ 北に追いやられ
海をわたりいまの北海道に住んだという
その人々が住んだ地 蝦夷地

幕末から明治にかけて活躍した探検家 蝦夷地 樺太 択捉にまで調査に赴き
明治政府は蝦夷地に明るい松浦を「開拓判官」として雇用した

とくに アイヌとの親交を深め アイヌ語の理解者でもあった
アイヌの長老から「カイ」という言葉が 「この地に生まれた者」という意味と教えられる
ほく=北 北の大地 蝦夷地
カイ=海 他にも候補があったが海の字を当てる この地に生まれた者
どう=道 東海道 南海道 道筋 行政区分
 蝦夷地を「北海道」と政府に進言
新政府は 明治2年 蝦夷地を「北海道」と呼ぶことに決定する

松浦武四郎はアイヌ語をもとに道内各地の地名を決めていったとあります


アイヌとともに 仲良く暮らす 北の大地を夢見て
「北海道」の名を思いを込めてつけた

三重県が誇る偉人の一人である

松浦武四郎 記念館
〒515-2109 
三重県松阪市小野江町383